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2024.05.16

歴史ある自然豊かな伊佐の台地で醸し出した独特の芳香と口当たり〈永禄二歳〉

くろ店長

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歴史ある自然豊かな伊佐の台地で醸し出した独特の芳香と口当たり〈永禄二歳〉

すっきりとした味わいは二次仕込みで添麹をすることから誕生。

永禄二歳は、伝統的手法の黒麹で仕込みを行っており、さらに二次仕込みで添麹をすることによりすっきりと軽やかな味わいが特長です。

★麹の秘密について知りたい方はコチラ

また、永禄二歳の商品名の由来は、日本最古の焼酎という文字が永禄二歳(1559年)に伊佐市にある「郡山八幡神社」の柱貫に落書きされた事によるものです。

今回は焼酎の歴史を紐解きながら、永禄二歳についてご紹介します。

そもそも、日本の焼酎のはじまりって・・・?

日本での焼酎のはじまり。
それは焼酎を造る機械=蒸留機の伝来が関係しています。

蒸留機は5世紀頃にアラビアで開発され、その後東洋と西洋に伝播し、アジアでも13~14世紀には蒸留酒が製造されたと考えられています。日本の蒸留技術は、15世紀頃東南アジアと交易が盛んであった琉球王国にシャム国(現在のタイ国)から伝来したというのが定説です。
ただ、薩摩への蒸留技術の伝来については、はっきりとしたことは分かっていません。

焼酎に関する最も古い記録は、1546年(天文15年)ポルトガルの貿易商人ジョルジョ・アルバレスが指宿の山川に半年間滞在し、この時のことをまとめた日本報告の中に「米から造るオラーカ」として出てきます。このオラーカとは蒸留酒を意味することから米焼酎のことを指しています。

なお、この日本報告はイエズス会の宣教師ザビエルの求めに応じて書かれたものであり、これから2年後の1548年、ザビエルはキリスト教布教のため鹿児島に上陸しました。

〈永禄二歳〉の由来は、神社の落書きにあり。~伊佐焼酎物語~

1546年には日本でも飲まれていたとされる焼酎ですが、日本で初めて焼酎という文字が出てきた最古の資料には永録二歳(1559年)の年号が記されていました。

この最古の資料が記された当時のお話。
〝焼酎神社〟と呼ばれる鹿児島県伊佐市の
〝郡山八幡神社〟を舞台にした
伊佐焼酎物語』をご紹介します☟

以上、伊佐焼酎物語でした!
当時の人々も楽しく焼酎を飲んでいたことが想像できますね。

また焼酎王国鹿児島の中でも、国の重要文化財「郡山八幡神社」のある伊佐市は、古くから焼酎と縁があるということがわかります。

そして、この郡山八幡神社の落書きを再現した木札のレプリカが、
大口酒造の第二蒸溜所「伊佐伝承館 永禄」にてご覧いただけます。
その他にも、大口酒造の歴史や伊佐の名産品など、伊佐の魅力がたっぷり詰まった場所です!

永禄二歳 商品情報

永禄二歳

アルコール度数・・・25%

内容量・・・1,800ml

原材料・・・さつまいも、米麹(黒麹、黄麹)

蒸留方法・・・常圧蒸留

永禄二歳 化粧箱入り

アルコール度数・・・25%

内容量・・・720ml

原材料・・・さつまいも、米麹(黒麹、黄麹)

蒸留方法・・・常圧蒸留

 

化粧箱入りの商品もあります。

また、永禄二歳は歴史上では戦国時代の真っ只中であり、その頃の時代背景も含めて永禄二歳という年をより深くお伝えできるよう、化粧箱に戦国時代の出来事を年表として記載しております。

約450年の歴史がある日本の焼酎についていかがでしたか?
さらに焼酎について知りたくなった方は、「くろいさ本店」の焼酎トリビアを是非お楽しみください。

焼酎の歴史は奥深~く、知れば知るほどお酒も進みます。そんな伊佐の歴史感じる〈永禄二歳〉は、ロック・水割りがおすすめです。

この記事を書いた人

くろ店長

鹿児島生まれで、黒いものに目がなく焼酎とおつまみを愛してやまない熱血店長。好物は黒麹の焼酎〈黒伊佐錦〉と黒豚料理。

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